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調查局三等申論題 106年 [調查工作組] 外國文(日文)

第 一 題

翻譯:日譯中(30 分) 小泉の引用する福沢のレトリックは、わかるようでわかりにくい。実用ではあるが非実用でいけというのだから、あきらかに矛盾している。だがこれは、教養の「公認性」というものがよく示された好例なのだ。 福沢は何に対して、学問の実用なるものを対置したのか。すでに非公認になりつつある江戸期の儒教仏教的教養に対してである。公認を勝ち取りつつある近代教養のほうから浴びせかけた勝利宣言のようなものが「実用」なのだ。肉食がほとんど普及していない頃から牛ナベを好んで食っていたような、近代教養の中に身をおいていた福沢が、近代教養のほうから非近代教養を、諒解も認容もできないものとして批判した言葉が、「実用でない学問」だったのだ。 だから、近代教養の枠内にあれば、すぐに実利に結び付けないことでも実用ということになるのであり、師も弟子小泉と同じように、目標としていたのは、教養人と、専門バカではないプロフェショナルの形成なのであった。
📝 此題為申論題

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這是一篇具備學術思想深度的文章,翻譯時須準確掌握「實用」、「公認性」、「教養」等核心概念的對比與脈絡。注意日文特有修辭的轉換,例如「わかるようでわかりにくい」、「牛ナベ」的時代象徵意涵,以及結尾「専門バカ」的適切中文對應,確保譯文不僅字面通順,更符合人文社會領域的學術語感。

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【譯文】 小泉所引用的福澤修辭,看似易懂卻又難以捉摸。因為他主張既要是實用卻又得秉持非實用的態度,這顯然自相矛盾。然而,這正是充分展現教養之「公認性(正當地位)」的絕佳例證。 福澤究竟是將所謂學問的實用性擺在什麼的對立面呢?他所針對的,是江戶時期已逐漸失去公認性的儒佛兩教之教養。所謂的「實用」,宛如正逐漸贏得公認的近代教養這一方所拋出的勝利宣言。福澤置身於近代教養之中——就如同在肉食幾乎尚未普及的時代便喜好享用牛肉火鍋一般,他從近代教養的立場出發,將非近代教養視為無法諒解與認同的事物予以批判,而他用來批判的詞彙,正是「不實用的學問」。

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